一人の人間の人生を垣間見る瞬間は意外なところで訪れるもんです。

音楽と美術とワインと

今日もお一人様ランチ。
出先で見かけた庶民的なグリルに入る。
毎度の事ながら初めてのお店に入るのはやはりワクワクする。
カウンターだけの8人で満席になる街の小さな洋食屋さん。
席に座ると厨房が丸見えだ。
当たり前だが狭い小さなお店はたいていカウンターの内側が厨房になっているのだ。
70歳をかなり過ぎたマスターと奥さんの二人で切り盛りしているのが一目で分かる。
メニューを見るとどうやらバンバーグが自慢の店らしい。
余計なことを考えずに一番安いハンバーグとライスを注文した。

バンバーグランチ

なんともボリューミーなハンバーグが登場したのでびっくりした。
連れがいたら驚いたり笑ったりと感情を表すことも憚られないのだが、黙々と食べるしかないのが一人ランチのさみしいところだ。
お腹いっぱいで勘定を済ませ外へ出て、お店の外観の写真を撮っているとマスターが出て来て僕に声をかけた。

マスター「見ていくか?」
僕「え?」
マスター「夜やってる店や」
僕「ぜひ見せて下さい」

今食べたグリルにもう一度入りお店の中程にある木の扉をマスターが開けた。
真っ暗な空間が見えた。
その暗闇に消えるマスター。
急いでマスターの後ろについて行く。
パチンとスイッチを入れる音と共に高級感溢れるレストランが現れた。
さっきのグリルからは想像出来ないくらい広く豪華なレストランだ。
スイッチを入れたマスターは立ち止まらずレストランの奥へ行きそこにある小さなドアを開けた。
なんとそこは部屋そのものがワインセラーだった。

ワインセラー

「わしの全財産や」
目の前にロマネコンティが箱で積んである。
それだけでン千万円だ。
その計算をした途端僕の頭の中の算盤は壊れた。
そしてマスターのワイン話が始まった。
僕はほんの少ししかないワインの知識でもって一所懸命マスターの話についていき、時折あらん限りの知識でワインを語る芝居をした。
マスターは「あんた中々ええこと言うな」と微笑んでくれた。
「ここはわしが還暦の記念にオープンしたんや。壁のレンガはオーストラリアから、ステンドグラスはイタリアから取り寄せたんや。今では企業のトップがゆっくりとワインと食事を楽しむために来てくれるようになったんや」

赤レンガとステンドグラス

「夢が叶ったんですね」そう言うとマスターはステンドグラスの方に近づき指先で赤いガラスをコツコツと叩いた。それは彼の照れ隠しの仕草だということがすぐに分かった。

「ええか、音楽と美術とワインが分かれば何処でも通用するんやで。これは世界共通やからな」
ステンドグラスの方を向いたままマスターはそう言った。

僕はすかさず「はい」と素直な返事をマスターの背中に返した。